小中時代のともだち

 小中のときに、忘れられないやつがいた。
 
 ぼくは小2で転校したんだけど、そこは国立の附属で、自意識の高い大人が自分の子供をお受験させてブチ込んでいた。
 
 保護者は、医者、歯医者、役人、教員、事業主、大手企業転勤族がけっこうな割合を占め、ご子息はよくテスト用に訓練されたのが多かった。自分含めてガキのくせに政治的な振る舞いするやつが多く、精神を追い詰める凶悪なイジメが女子の間で流行った。
 
 ぼくも転校後すぐに、数ヶ月間イジメというお約束の洗礼を受けるハメになったが、そんなの関係ないかんじで無邪気に仲よくしてくれたのがU。
 
 彼は際立った問題児で、成績ビリはもちろんのこと、行動が飛びぬけて無軌道というか、1週間に数回は問題を起こしたり叱られたりしていた。
 
 Uと遊ぶのは楽しかった。ハチャメチャなもんだから、いつも新しい発見がありまくり。でもそのうちいくつかはすごくアブないもので、一緒に叱られたり捕まったり、保護者が引き取りにきてくれなくて一緒に夜を明かしたりした。
 
 今思うと、他の同級生の親御さんは、自分の子供を彼と遊ばせることのリスクを多分認識していたんじゃないか。自意識や向上心が強いもんだからなおさら。成長に従って彼と遊ぶメンバーは減っていった。
 
 
 エスカレータ式で中学に入るとクラスが別々になったんだけど、彼はそのままアブないかんじで成長していた。中3のころか、惚れた年上の女を追っかけて東京に行方をくらましたりした。理解を超えた。
 
 その後高校は別々になって、彼は即退学。朝通学中にパチ屋の前を掃除していたのを見たことがある。ほどなくして自然と連絡をとらなくなってしまった。
 
 風のうわさでは、そのあと親父さんの会社に入って大工修行して、結婚して別れてプーになって、ってのを20歳までに済ませていたらしい。
 
 
 --------<約20年後>--------
 
 先月、FACEBOOKを開いたら、Uからリクエストが来ていた。メッセなしでさりげなく。ふるえるほど懐かしかった。風貌はほとんどかわっていない。
 
 衝撃はしごと。外資Oracleの開発部門。自分が落とされたとこじゃん。
 
 FBページはほとんど英語。同僚と国際的なパーチー主催したり技術文化交流会をやってたりしているよう。部屋にはピアノやベース、ギターが置いてあって、ジャズとかやってるみたいだった。
  
 ということで、来週東京に戻るので、あいつに会ってくることにしました。超ドキドキする。ミステリアスすぎるあいつ。わけわかんねー。そういえば不思議なのが、通知表見せてもらったことあるけど、国語と体育が4で、あと全部1だったな。なんか、脳が特殊なんかな。
 
 
 そんなんで、久々の1枚をあなたに届けるわけですが、彼と中学のころギターひいて歌ってたこれにします。
 たぶん、深い意味とかわからなかったはずなんだけど、階級闘争みたいなことを彼とよく話していて、ガキのくせに社会に漠然と怒りを抱いていたことを思い出しました。