日野皓正 ビンタ事件

‪日野皓正さんが指導にあたってた中学生バンドの演奏会中にドラマーくんからスティック取り上げて往復ビンタした、という報道で。

  

‪みんなが見ているところでやった、というのと、日野さん御歳74というのと、その中学生がスティック取り上げられてもまだ手で叩き続けた、というのを合わせて考えると、その間にあんまり陰湿ではない、不完全な普通の人間同士のエネルギーの交換を感じて妙にしみじみして笑ってしまった。

  

ドラマーは要職だから今まで練習の段階でもそれなりに日野さんとのコミュニケーションが図られてたろうし、いろんな経緯があったんだろうと思う。

   

中学生にとっての74歳はじいちゃんくらいの歳。心に傷を抱えるとかトラウマになるとか、ほんとこれは人によるだろうから軽はずみに言えないけど、ただの暴力とは違う、懐かしい痛みにかわってくれるといいなーって思う。

 

世界の日野さんだから殴られてありがたやーとか、逆に、単に暴力はんたーいとか、そういう感想が出回ってるけど、どちらも正気か君達って思う。

 

って、なかなか食レポやんなくてすみません。

はてなダイアリーがブログのことだと思っちゃってたもんだからああ。食い合わせ。

田島マカオです。お察しの通り、オリジナルラブが好きです。

 

さて、しばらくぶりにログインした、はてな。今までのダイアリーとブログと何が違うんだいと激しく戸惑いながらも第1発めを行きます。

 

なぜまた、はてな、に戻ってきたかというと、Win環境→MAC環境に総入れ替えというイベントがありまして、そうするとほら、いろんなプラットホームもろとも替えてやれという、変身願望というか、破壊願望というか、そういうやつが芽生えちゃった系です。

 

ブログが生まれた当初と今、何が違うか。アフィリエイトが浸透して、割とじっくり読ませる系のブログが減って、どうでもいい情報系の商売系のやつが増えちゃったところですね。確かに普遍的な題材を扱うのだったらあれですが、個人的などーたらこーたらを読み合って交流するなんていう部分はSNSに取って代わられてしまったのでしょうね。

 

さ、これからのブログが担っていく役割とは何か、ああ、ことえりが使いにくいからちょっとGoogle日本語入力を仕込んでから再開します。

 

再開。ああ使いやすい。

 

あれですね。確かに、個人的などーたらこーたらについては、たしかに一時的にSNSに取って代わられました。しかし最近はそれがSNS上では廃れてきた。mixiではそういったところをフォローしてくれたんですね。長文の独白なんてよくあった。でもそれは閉鎖的だった。それでFacebookになった。それでもまだやっぱり日本人は閉鎖的な使い方をした。そこで、若者がオッサンうぜーとなってインスタに避難を始めた。

 

おじさんおばさんは長文を書きたい習性をもっています。これからFacebookはそれらの受け皿となって機能し続けるでしょう。うざがられながら。

 

わたしはまだ初老手前。うざがられるのはいやです。これはやっぱ、ブログを再開してみようとなったわけです。しかしまたここで一つの問題がある。ブログは閉じたコミュニティじゃないので、馴れ合いで慰められるという欲望は満たされないのですね。

 

そんなわけで、こうしたらどうでしょう。慰められるなんていう欲望を捨てるんです。承認欲求は本業の中で十分に展開するとして、ここでは自己満足の世界でいこうと。オノレの甘えたあーだこーだをSNSで垂れ流すのはやめようと。これが自立した大人ではないでしょうか。ちがいますかそうですか。

 

ということで、はてブについては、食レポを基調とした感じにしようかなということになりました。よろしくおねがいします。田島マカオと申します。

 

 

<了>

 

 

 

 

ひとりっこ

 そういえば、ジョンレノンってひとりっこだったよなあって思いだした。
 
 ひとりっこって、まだぼくらの世代だと少ないほうだったんだよね。ちょっと悪口の対象にハマっちゃったときなんて、それを持ち出すやつとかいた。
 
 空気読まねえとか社会的に未熟だとか、分けないとかワガママとか。
 
 あんまそんなことないよ。育ち方だろっておもってたし、あんまきにしてなかった。
 
 でもさいきん、一人っ子にある共通の特徴を感じるようになった。なんとなくね。無軌道っていうか、あんまりビシっと決めないっていうか、夢想家っていうか。
 
 これは周りに音楽関係の友達が多いからか。
 
 
 

小中時代のともだち

 小中のときに、忘れられないやつがいた。
 
 ぼくは小2で転校したんだけど、そこは国立の附属で、自意識の高い大人が自分の子供をお受験させてブチ込んでいた。
 
 保護者は、医者、歯医者、役人、教員、事業主、大手企業転勤族がけっこうな割合を占め、ご子息はよくテスト用に訓練されたのが多かった。自分含めてガキのくせに政治的な振る舞いするやつが多く、精神を追い詰める凶悪なイジメが女子の間で流行った。
 
 ぼくも転校後すぐに、数ヶ月間イジメというお約束の洗礼を受けるハメになったが、そんなの関係ないかんじで無邪気に仲よくしてくれたのがU。
 
 彼は際立った問題児で、成績ビリはもちろんのこと、行動が飛びぬけて無軌道というか、1週間に数回は問題を起こしたり叱られたりしていた。
 
 Uと遊ぶのは楽しかった。ハチャメチャなもんだから、いつも新しい発見がありまくり。でもそのうちいくつかはすごくアブないもので、一緒に叱られたり捕まったり、保護者が引き取りにきてくれなくて一緒に夜を明かしたりした。
 
 今思うと、他の同級生の親御さんは、自分の子供を彼と遊ばせることのリスクを多分認識していたんじゃないか。自意識や向上心が強いもんだからなおさら。成長に従って彼と遊ぶメンバーは減っていった。
 
 
 エスカレータ式で中学に入るとクラスが別々になったんだけど、彼はそのままアブないかんじで成長していた。中3のころか、惚れた年上の女を追っかけて東京に行方をくらましたりした。理解を超えた。
 
 その後高校は別々になって、彼は即退学。朝通学中にパチ屋の前を掃除していたのを見たことがある。ほどなくして自然と連絡をとらなくなってしまった。
 
 風のうわさでは、そのあと親父さんの会社に入って大工修行して、結婚して別れてプーになって、ってのを20歳までに済ませていたらしい。
 
 
 --------<約20年後>--------
 
 先月、FACEBOOKを開いたら、Uからリクエストが来ていた。メッセなしでさりげなく。ふるえるほど懐かしかった。風貌はほとんどかわっていない。
 
 衝撃はしごと。外資Oracleの開発部門。自分が落とされたとこじゃん。
 
 FBページはほとんど英語。同僚と国際的なパーチー主催したり技術文化交流会をやってたりしているよう。部屋にはピアノやベース、ギターが置いてあって、ジャズとかやってるみたいだった。
  
 ということで、来週東京に戻るので、あいつに会ってくることにしました。超ドキドキする。ミステリアスすぎるあいつ。わけわかんねー。そういえば不思議なのが、通知表見せてもらったことあるけど、国語と体育が4で、あと全部1だったな。なんか、脳が特殊なんかな。
 
 
 そんなんで、久々の1枚をあなたに届けるわけですが、彼と中学のころギターひいて歌ってたこれにします。
 たぶん、深い意味とかわからなかったはずなんだけど、階級闘争みたいなことを彼とよく話していて、ガキのくせに社会に漠然と怒りを抱いていたことを思い出しました。
  
  
  
 
 
 

あたらしい月

 超激動の5月が終わって、かなりホっとしています。まとまった休日の後は、ひとつひとつが重く感じてしまうものですね。
 
 さて、のび太の名言に「6月ってだいきらい。日曜以外に休日がひとつもないんだもの」ってのがあります。のび太らしいですね。
 
 でもぼくはけっこう6月が好きです。会いたい人に会ったり、ちょっとハメはずしてみたり、したいです。
 
 今日のキュン盤は、やっぱちょっと前の、これです。小島麻由美

 なんだろう。オシャレぶりたい頃によくきいていました。今は林檎とかエゴラッピンとかいますが、浪人生のときはこれがもうけっこう衝撃でした。
 
 

消えること

 ソーシャルネット隆盛(といってもピークはとうに越えた感があるが)の現代にあっては、そのサービスから抜けると、急に消息が途絶えたような感じになる。
 
 たとえ、リアルで深く関わっていた人間でさえ、サービスから抜けることで存在感を急に失うのだ。
 
 抜けた人間に対して、こちらは喪失感に似た感覚をおぼえることになる。文字の端々から感じ取っていた息遣いや表情が、急に眼の前から消える。
 
 それはリアルな世界からすると、かなりキモチワルい現象だよなあ。
 
 いつのまにか、自分がそんな精神構造になっていることに、吐き気がするくらいの気持ち悪さを感じるのよ。
 
 
 さあこれからどこへいこう。不機嫌な空は、雨模様、、、なのです。
  
 
 という今日のキュン盤です。 金延幸子 空はふきげん
 
 
 

解放すること

 思いのままに生きていると、しばしばバッファがすごいことになっていて、そのトラフィックに圧迫されて寝込んでしまうことがよくあります。
 
 ふつうのひとは、いろんなことを、ちゃんと整理しながら生きているんだろうか。
 
 ソーシャルネットを使いはじめて8年たつけど、色んな情報が一気にはいってきて、その情報があまりに身近なものだから右往左往してしまいます。
 
 最初はそれがとても楽しいものだったのだけれど、そのうちだんだんと脳と身体がついていかなくなってしまって目が回っている自分を発見します。
 
 ここ1年、近いともだちがけっこうやめていくのを見て、とてもさみしい思いをしていたのですが、最近ものすごくその気持ちがわかるようになってきました。
 
 こうやって、ひとつまた自分の中での時代が、終わっていくのかなあ、という予感がしています。
 
 転居が多いから、そのたびに土地やコミュニティーにまるで恋人への未練のようなものを感じているのだけれど、時代についてもおなじような感覚でいます。
 
 ということで今日のキュン盤は言わずと知れた山崎まさよしです。